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男装の麗人川島芳子

すごく素敵な人です。
このような人になって見たいとおもいます。

1927年20歳の時、旅順で蒙古族の将軍パプチャップの息子カンジュルジャップと結婚するが、夫の親族となじめず、2年ほどで離婚。その後上海に渡り、上海駐在武官の田中隆吉少佐と交際したことから特務工作に関わるようになり、上海事変の謀略工作に関わったといわれている。上海での活躍から、「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれる。

1931年9月満洲事件が勃発し、11月にまず清朝最後の皇帝溥儀が関東軍の手引きで天津から満洲に連れ出された。川島芳子は残された溥儀の皇后婉容を天津から連れ出すことを軍から依頼され、婉容を天津から旅順へ護送する任務を行っている。1932年に、溥儀を執政とする満洲国が中国大陸北部に成立すると、川島芳子は新京で満洲国女官長に任命されたが、実際には就任していない。この頃芳子をモデルにした村松梢風の小説『男装の麗人』が発表され、芳子は日本軍に協力する清朝王女として世間の注目を浴びるようになる。

1933年には関東軍の支援のもとに安国軍(定国軍ともいう)が創設され、芳子が総司令に就任し、熱河作戦に従軍した。安国軍がどれほどの規模で、実際の活動はどのようなものであったかは明らかではないが、このニュースは新聞で大きくとりあげられ、芳子は「東洋のジャンヌ・ダルク」、「満洲のジャンヌ・ダルク」などと呼ばれた。

当時はラジオ番組に出演し、余った時間に即興で歌を披露し、それがきっかけでレコードの依頼がくるなど、非常に人気があった。芳子が歌う「十五夜の娘」、「蒙古の唄」などのレコードが発売されている。なかには蒙古語で歌っている部分があるが、意味が通じないところもある。これは一時期蒙古人の夫と結婚して草原で暮らしていたので、その時に聞き覚えたものではないかと思われる。作詞者としては1933年に川島芳子作詞、杉山長谷夫作曲、東海林太郎唄の「キャラバンの鈴」というレコードを出している。

同年には、小説『男装の麗人』を連載していた『婦人公論』本誌に、独占手記として「僕は祖國を愛す」を掲載させ、1940年には自伝『動乱の蔭に』を出版している。また「昭和の天一坊」と騒がれた相場師・伊東ハンニや右翼の笹川良一と交際したり、天津で中華料理屋を経営するなどしている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)
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2007年11月21日 21:36に投稿されたエントリーのページです。

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